『君と彼女と彼女の恋。』感想

君と彼女と彼女の恋。(以下『ととの』)』をクリアした。

2013年発売のゲームに関する感想を2019年1月現在に書くのはどうなの?という感じがしないでもないけど、まぁいいか。

メモ程度に一応書く。

 

ちなみに『ととの』とそれを元ネタにしたゲーム『Doki Doki Literarature Club!(以下『DDLC』)』のネタバレを大いに含む(というかネタバレしかない)ので、それらを未プレイの人は読まない方が良いのではないかと思う。

 

僕は割とメタフィクションな作品が好きで、過去にそれなりの作品を消化している方だと思う。

だからこの『ととの』もかなり楽しめるのではないか…とものすごく期待しながらプレイした。

 

とりあえず結論を先に書くと、僕はこのゲームのノリが合わなかった。

そのためこの感想文は「なぜ僕はととのを楽しめなかったか」というところをひたすら書き連ねる内容になる。

 

『キャラクターに感情移入できなかった』

 ぶっちゃけてしまえばその一言に尽きるんだけど、とにかくキャラクターの行動、そしてそれに伴うストーリーの進行に不満がつのったということです。

 

■心一の行動原理が謎①

このゲームは、『主人公の心一が美雪と恋人になるか否か』というところを中心にストーリーが動くわけだけれども、まず心一と美雪が結ばれない理由がそもそもに存在していない。

心一と美雪は最初から両思いなのである。

最初の段階でバッドエンドに向かう理由はただひとつ、「自分では美雪とはつりあわない」という心一の心理、ただそれだけである。

 

最初は「なるほど、心一くんは過去に美雪との間にトラウマを発生させるような事件があって、それで美雪と距離を置いているんだな〜」と思ってプレイしていた。

そういうことが過去にあったと匂わせるような演出がたくさんあったし。

ところがそういう劇的な何かはまったくなかった。

特に何も無いんだけど、心一が勝手に美雪に対して引け目を感じてしまっているというだけの話。

これで二人の結ばれなさ→強制的なバッドエンドに至る道筋に納得するほうが難しくないですか?

 

■心一の行動原理が謎②

もう上の理由だけでかなり興が削がれてノレなかったんだけど、さらに決定的なのは、アオイルートからラストのメタルートに至る選択肢が謎すぎるというところ。

2周目のアオイルートは正しい選択肢を選ばない限り常に美雪エンドに収束するかたちになるわけだけど、その収束するか否かを分ける選択が「アオイの話をちゃんと聞くかどうか?」というただその一点に掛かっている。

これが個人的に納得いかない。

他の男と寝ているアオイに対する復讐をわざわざ誕生日に行うほど嫉妬深い心一が、アオイの話をちゃんと聞く(しかもその内容はにわかに信じがたいもの)だけですべてを赦して謎の3Pプレイに至るのは奇妙としか言いようがなかった。

ちょっと会話しただけで自分のなかのわだかまりを解消できるような器の人物なら、あんな復讐劇を考えて実行したりしないでしょ…何なんだよ心一くん。

 

■責任の所在はどこに?

『ととの』を『ととの』たらしめているのは第4の壁を突破するメタ演出にあるわけだけれども、そうしなければならなかった理由が薄いと感じた。

 

そもそもあらゆるノベルゲームには選択肢があり、最終的にどのような結末に至るかはプレイヤーの意志に委ねられている。

一方向的な小説や映画と違い、ノベルゲームであるという時点でその世界に介入しているわけである。

(各プレイヤーがそこまで自覚しているかは知らないけど)

 

だからメタ演出が入るかどうか?を除けば、すべてのノベルゲームはメタ構造を最初から内包しているとも言える。

 

じゃあメタ演出は何を演出しているのか?

それはプレイヤーに対する『選択すること、世界を変革させることに対しての責任表明』ということである。

「この世界における結末がこうなったのは、プレイヤーであるあなたの選択の結果なのだ。その責任をきちんと自覚するべきだ」と訴えかけているわけである。

(このあたり、UNDERTALEをクリアした人ならよく分かる感覚だと思う)

 

『ととの』においてプレイヤーが取るべき責任、それはアオイの行動を『止めなかった』ことである。

そして止めた場合の結末、それは冒頭に書いたとおりバッドエンドに収束する。

 

この構造、納得できますか?

少なくとも僕には出来なかった。

自分の選択が間違っていたという前提があり、その責任に対する負い目があるからプレイヤーは悩み苦しむことができる。

それが心に残るゲーム体験となる。

『ととの』にはそれがなかった。

正直言えば選択肢を選ばされているという感覚がかなり強かった。

それは上に書いたように心一の行動原理が理解し難いことと、基本的にルートが一本道であり、プレイヤーの選択の余地はほとんど無かった(これは選択『肢』の問題ではない)という部分が大きい。

 

■美雪さん、『君』って一体誰ですか?

と言うように、ゲームをプレイしていて選択をしている実感があまりわかないまま最後のメタルートに入った結果、美雪が語りかけている画面の前の『君』と、プレイヤーである僕がほとんど一致しないということになってしまった。

だからメタルート内で行われる美雪のあらゆる行動が誰に向けられたものなのか、僕にはわからなくなってしまった。

これで感情移入しろというのはなかなかに酷である。

唯一感情移入できたのは美雪が画面越しにプレイヤーとエッチを行うというシチュエーションである。

まぁそこで発生した感情は「かわいそうだなぁ」という憐憫であり、愛おしいとかそういうポジティブなものではなかったけど…

 

■究極の2択?

そういう諸々をもってラスト、アオイをとるか美雪をとるかの、一度切りの選択肢が発生する。

これはゲームをリセットしない限り片方の結末しか観ることの出来ない究極の選択肢である。

ここでプレイヤーは熟考の末に心を痛めながら片方の結末を捨てることになるわけである、このゲームに没頭できていればな。

 

僕としては心一にもアオイにも美雪にも感情移入できなかった結果、『限りなくどっちでもいい』としか捉えられなかった。

そして選んだその結末も、予想を上回ってくるような衝撃的なものではなかった。世界なんて元に戻さず、むしろできるだけの改変を重ねて、二人にとって都合のいいセカイを作ってしまえばよかったのに…

 

 

■まとめ

というわけで、僕は『君と彼女と彼女の恋。』はあまり楽しめなかった。

ギミックとしてのメタ演出は面白かったけれど、それとストーリーがうまく組み合わさって無かったように感じた。

 

まぁ僕はノベルゲーはそれなりにやってきたけど、エロゲーはあんまりやってなかったので、エロゲリテラシー不足でメタエロゲーとして楽しめなかったという部分はあると思う。

 

そして後発であるDDLCを先にプレイしてしまっていたのも悪影響を及ぼしていたのかもしれない。メタルートに斬新さを感じられなくなってしまったわけだし。

 

ただ、そのプレイ順を抜きにしても、DDLCの方がはるかに出来が良かったと思う。

 

 

それは、登場人物の行動原理の明確さであり、狂った世界をリセットする手段の面白さであり、何より『僕』が存在せずに『君』だけだったことである。