独断と偏見に満ちた版権特効の話・安易な処理には手を出すな!

はい、前回↓の特効与太話の続きです。

https://fukkunmania.hatenablog.com/?_ga=2.12655223.1559767800.1630852173-154987041.1630852173

 

何を書こうかな~(書くことね~)と思ったのですが、特効(に限らず撮影とか)で良く見かける処理を書いておこうかなと思い立ちました。図を作るのがめっちゃめんどくさかったです。頭の中で念じるだけで生成できたらいいのに…

 

イラストとか色々応用が利くと思うのでここぞというときに使ってみてはいかがでしょうか。

 

ただ、こういうのも流行り廃りがあって、今は良くても数年後観たら「えっ古…」ってなる可能性は高いと思っています。色収差とかノイズとかグリッチみたいなやつも数年後には賞味期限切れてるんじゃないかな…でもかっこいいからいいか…

 

それでは見ていきましょう。

 

■ソフトフォーカス

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いらすとや素材で主線が無いのでわかりにくいのですが、固い画を少しだけ柔らかくする効果があります。レイヤーモードを比較(暗)とかにしてもいいかも。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版の序と破は全体にソフトフォーカス効果かかってて線がぼや~っとしてましたね。Qからは外されてパキっとしたルックになりましたが。

個人的にはあまり使わないかな(CDみたいな小さい版権だとボカすと印象が悪くなるので)

 

■表面ブラー

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いい名称が無かった…これは割と版権ならではというか、Photoshop縛りでやりなさい、となったら多分僕も採用すると思われる方法。表面ブラーを使うことで、エッジ以外をボカした素材を用意しておいて、それを比較(暗)で合成する手法ですね。

比較(暗)は、同じ明るさだと変化しないので、エッジ部分の濃く溜まった部分のみが合成されてフラットだった面が立体的になります。簡易ですが。

フラットなセルに主線があるというセルアニメに対するアプローチとしては簡単ながらも結構効果高い手法な気がしますね。やりすぎるとくどいけど。

 

 

ディフュージョンフィルター(DF)

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個人的に欠かせないというか、もうアニメ全般にこれが無いとかなりきついだろ、というほど流行ってる手法。「なんかお金かかってそうな画面だな~」って感じるアニメには多分使用されてると思っていいかと。

流派が色々あると思うので適当な例を一つ上に上げていますが、今までの手法と違って、途中でレベル補正を挟むのがポイントです。これにより、『明るい部分に光が当たって拡散(ディフューズ)する』という写真的な手法を取り入れることが出来ます。

昔の撮影台時代のアニメだと、カメラで実際にセルを撮影する段階で多少なりともこの効果が発動していたのではないかと思います。ブラーの強度、レベル補正の範囲を調整することで様々な表現ができます。

ただし、スクリーンで合成している関係上、どうしても明るさが変化します。これを抑えようとして比較(明)で合成するとあんまりおもしろくない…じゃあトーンカーブで明るくなり過ぎた部分を落とすか?みたいなことを考える必要があったりします。面倒ですね。

 

 

■グロー(発光)

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ペンライトとかライトセイバーとか、とにかく発光している物体を再現する手法。これも流派がたくさんあると思うので適当な例を上に書いてます。

光らせたい部分を何個か合成して、ブラーのサイズを上げながら、それぞれ加算orスクリーンで重ねていきます。右下の合成後がかっこいいですね。

この時、あまりぼやけ過ぎず、かといって白トビしすぎない丁度いいブラー量にする必要がありますので、何回か調整は要りそうな気がします。知らんけど。

 

 

■と、色々紹介してきたけれど…

他にもさまざまな手法があるんですが、図を用意するのがクソ面倒なことに気づき、とりあえずジャブ的な内容に留めました。なんで図ってこんなにたいへんなんだろうね…

 

上の手法を使えば「なんかいい感じ」にすることはできるんですが、結局のところ最終的にどういう絵(画)にしたいのかというビジョンがないと、あれもこれもと効果を重ねてしまい、来来亭のコッテリラーメンみたいに超濃い画面になってしまうでしょう。(来来亭のラーメン好きだけど)

 

まぁ、定型的な処理を決めてしまって、それを何も考えずにとりあえずかける、というのは速度の意味では重要かもしれない…

 

 

Photoshopでの作業が嫌い

さて、終わりに次回の記事内容になりそうなことを書いておきます。

上のやり方は確かにPhotoshop(に限らずペイントソフトならなんでも)で実現可能です。

ではベースレイヤーの絵に修正が入ったと想定してみるとどうでしょうか?上に掛けた処理は全部やり直しになりますよね。合成する絵が変わってしまうんだから。

 

これがね、ほんとに嫌いなんですよね。破壊的なワークフロー。

スマートフィルターとかありますけど、どうしてもある程度破壊的にならざるを得ない。

 

 

と、いうわけで次回『なるべくAfterEffectsでやりたい(仮)』に続きます…

 

以上です。

 

 

 

独断と偏見に満ちた版権特効の話・難易度編

2020年は結構版権特効を担当していたので、その反省と悲しみと備忘録を兼ねた記事をいくらか書いていこうかなと思い立ち、久々にキーボードで文字をたくさん打っています。今入力に使っているLogicoolのMX KEYSというキーボードがまぁクソで、それについての文句も書きたいところですが、どうでもいいですね。

 

2020年、版権特効でメインにやっていたのは『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』(以下ニジガクと表記)というアニメ作品です。

これのブルーレイパッケージと

Blu-ray情報 | ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

各話数に挿入される各メンバーのシングル曲パッケージ

CD | 音楽商品 | ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

を主に担当しました。

 

その中で得られた知見と悲しみと怒りを主に記事にしようと思っているのですが、他の人が書いてそうな内容をね、僕が書いても仕方がないのでちょっと変則的に行こうかと思います。次の図をご覧ください。

 

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特効マトリクス

 

これは横軸に難易度、縦軸に工数を割り当て、そこに今まで行った特効案件を貼り付けたものです。

工数→多ければ多いほど作業時間がかかる

・難易度→高ければ高いほど絵を成立させるのが難しくなる

という感じで雑においてみました。

 

ではここからわかることをピックアップしていきましょう。

 

■美術とセルが剥離しているほど難易度が上がる

ニジガクというアニメは元々ソシャゲから派生しているメディアミックス作品です(このあたり説明が適当なので各々調べて下さい。よって、基本は止め絵主体からスタートしました。

アニメは作画で動かさないといけないので、複雑な衣装は基本NGです。さらにキャラクターデザインの横田さんは他の方と比較してこってりとした影付けをあまりなさらないタイプです。(他のラブライブ作品と比較してもらうとわかるのですが、非常にあっさりとした画面の作品です)

さらにお台場周辺をベースとした物語なので、現実の背景がたくさん出てきます。

これらの要素が組み合わさるとどうなるか、『緻密な背景の上に、あっさりとしたセルが乗っかる』ことになります。単純に言うと、何も処理しなければ『聖地に置いてあるアニメの等身体パネル』みたいになります。

 

もう一度図を見てください。一番左下にあるのはキャラの立ち絵です。これはそもそも背景美術が無いです。よって難易度は最低、非常に成立させやすいということになります。

 

逆に難易度が高い側を見ると、現実的かつ緻密に描かれた空間にキャラが存在しているものが多くなります。

 

なるべくイメージ背景や立ち絵などの案件を取るようにしましょう。

 

■ライティングが複雑なほど難易度が上がる

日中、あるいは光源が少ない、光源の位置が真正面にあるほど馴染ませるのは容易です。というよりか、特に工夫しなくてもそのまま成立する。

逆に夜間、複数光源、逆光、フットライト(足元から当たる光)etc....になるほど難しくなります。

上の図で言うと、左に来ているものは光源がほぼほぼ真正面から当たっている(あるいは光源の概念がなくフラットな画面)かと思います。右に行くと、逆光だったりフットライトだったりで、光源が変則的になっているのが見て取れます。

 

なるべく昼間かつ順光の案件を取るようにしましょう。

 

■アングルが複雑になるほど難易度が上がる

これは単純に言うと『俯瞰』です。斜め上から見下ろしているタイプ。

なぜ難しいかというと、足と地面が近い(あるいは接地している部分が見えているものもある)為に、背景を一括してぼかして処理というのがやりづらくなるからです。いちいちボケ量をカメラとの位置関係を想像しながら調整しなければいけません、これは難しい。さらに、身体の中でも、カメラに向かって伸ばした手と、つま先でかなりの距離が発生します。背景にボケ処理を入れると、「なぜ身体のパーツはボケてないんだろう」という違和感につながりやすいのです。面倒ですね。

もう一点、キャラクターから落ちる影の存在もあります。大抵美術には、建物やオブジェクトに影が存在しています。キャラクターの影は原則そこには無くて、セルで描かれた影を合成モード(乗算とかオーバーレイとか)で馴染ませていくことになります。厳密に言うと、これでは色や濃度が美術の影とは合わないのです。面倒ですね。

 

なるべくシンプルなアングル、なるべくならバストアップの案件を取るようにしましょう。

 

■難易度というのは存在するのだろうか?

さて、以上の様に特効における難易度というものを説明してきましたが、実際のところ、これらの要素は『納品において何一つ必要性はない』というのがキモです。全く考慮せずに、どんな内容のモノでも一括の処理でまぁ大丈夫、受領されます。

つまり難易度とは作業者が勝手に想像している概念に過ぎず、あくまで職人的意識によって付与されるものでしかないのです。

そして、それらの物事を考慮したからといって、じゃあ最終アウトプットが良くなるか?というとよくわかりません。現実的にはお節介、マイナス要素になっている可能性も否めず、素の作画素材をはっきりくっきり載せたほうが喜ばれるのではないか?という気持ちもあります。ここらへん、深く考えてはいけません。そういうことを考えだすタイプの人は、そもそも特効には向いてないのです。やめておいた方が生きていく上では楽だと思います。

 

 

…悲しい内容を書いてしまった。ここからは、現実的な部分である『工数』に関わる内容をサラッと書いていきます。こっちはどの作業者でもおそらくにたりよったりではないかと思います。工数がかかる内容であるほど作業時間が嵩むので、まぁやめておいた方がいいのではないかと思います。

 

 

■画面内の人数が多いほど工数がかかる

これはもう当たり前で、人数分の処理がかかるからです。左上に、全員集合のCDジャケットを置いているのですが、難易度としては低いのに、9人も画面に存在しているので無限とも思える作業量が発生します。つらいです。

 

なるべく人数が少ない案件を取るようにしましょう。

 

■画面が大きく精細であるほど工数がかかる

図を見てもらうと、正方形なものとそうでないものがあるかと思います。正方形のヤツはCDジャケット、縦長長方形のヤツはBDジャケットです。処理内容はほぼ同じなのですが、画面のピクセルサイズが縦横それぞれ2倍以上BDの方が大きくなります。まぁ物理的にデカいからね。

その分細かい粗もたくさん見えるし、単純に処理する面積が増えるので大変です。

 

面積が小さい案件をおすすめします。

(ただし、ピクセル数が多いほど表現できることも増えるので、やってて楽しい、という意味合いにおいてはBDジャケットの方が上だったかもしれない)

 

■特殊な処理が必要なものほど工数がかかる

これは何をもって特殊か?というところにかかってくるのですが、レザーや金メッキ系の装飾、あるいは発光する物体を身にまとっているキャラなどが該当します。まぁこだわりを捨てればこれも実際には工数としてさほど加算されないのかな?わかりません。質感にこだわるほど尋常じゃなく作業量が増えます。

 

なるべく特殊処理がない案件を取るようにしましょう。

 

 

工数がかかるのはだいたい見た通りかと思います。要は複雑で情報量が多いほどそれに比例して作業時間が膨れ上がるということですね。

これはまぁ案件をみた瞬間回避余裕でしたという感じかと思いますので、頑張って避けてください。

 

 

 

 

以上、版権特効と難易度にまつわる話でした。今後は個別にどのような処理を実際に加えていったかという記事を書くつもりですが、やる気が無くなったら書かないと思います。そんなもんです。

 

 

非常に重要なことを書き忘れました。

どれだけ工数が掛かろうが、難易度が高かろうが、賃金は一律です。

 

以上です。

読まれたいけど読まれたくないチラシの裏。

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最近ちょっとずつ、自分の考えはSNSではなくブログに書くようにしている。

(あれ?これ前も書いた気がする。もう記憶力がおじいちゃんなので許してください)

 

人間、ワンタップ、ワンクリック間に入るだけでその記事や動画にアクセスするのが確実におっくうになると思っている。だからTwitterに直接貼った動画と、一度YouTubeアプリを経由しないと見られない動画では全然アクセス数が違ってくるんじゃないかと感じているわけだ。知らんけど。

 

つまり、SNSではなくブログに自分の意見を書く、という意味は、『読んでほしい人にだけ読んでほしい』ということになるわけだね。

 

僕は最近もう疲れるから、Twitterも気になる数人の人のツイートだけをブックマークに保存してすぐに画面を閉じてしまう。いいねもあまり付けたくない。他人のいいねが見られる(というかフィードに流れるようになった)時点で、何かにいいねを付けるという行為自体が、僕という存在の意思の方向性を明確にすると思っているからだ。

 

”僕(@fukkunmaniaです)という人間はこういうものが好きですし、こういう意見を支持します”

 

そういうのを他人に僕のメタデータとして添付されることに結構疲れている自覚があるし、逆に僕も他の人に対してそういうレッテルを貼ってしまったことに気づいたとき、ひどい罪悪感が芽生える。

 

そういうのが積み重なってMPがゴリゴリ削られたので、SNSおやすみ期間を取っている感じです。どうせそのうち復活するけどね。

 

僕の意識が削り取った僕のMPは一体どこに消えたんだろう?脳みそのどこかに実は隠れているのか、それとも空気中に霧散して二度と取り返せなくなっているのか。よくわからないな。

 

追記

 一番上の絵は3DCGモデリング用の絵でも描こうかなと思ってグリグリ落書きしてみたけど、僕は絵が描けないんだなと改めて感じ、供養したものです。完

『素晴らしき日々 ~不連続存在~』をクリアしたので諸々。

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素晴らしき日々 ~不連続存在~』(以下すば日々)をクリアしたので諸々メモ程度に書いておこうと思う。ネタバレへの配慮はしないので未プレイ(あるいは今後プレイする気のない方以外)の方は閉じてください。

 

 ※アダルト商品ってリンク貼れないのけ…?よくわかりません。

 

 

まず前提としてメモっとかないといけないのは

ウィトゲンシュタインをメインとする哲学書を僕は一切読んだことがない。そのため引用されてる内容はおろか、意味もわからないので都合よく解釈している。

 

・最近老化のせいか、記憶力が悪いので物語を忘れないうちにプレイし終えたいという傾向がある。とりあえず僕の今回のプレイ時間は概ね15時間くらいだと思います。他の人のプレイ時間見てるとだいたい30~40時間程度っぽいのでかなり読み飛ばしているはず。

 

・僕はメタな作品が大好きで、これもメタな作品が好きな友人に勧められてプレイしたわけだけども、メタ作品っておすすめされた時点で『メタが含まれてる』ってバイアスがかかっちゃうのでかなり初期段階で(早ければプレイする前のキャラ紹介を見ただけでも)構造がわかっちゃうってのがある。これはつらい。メタな作品をプレイすればするほど新鮮な楽しみがなくなってしまうんやで…

 

 

というのを踏まえて以下メモ書きを読んでいただければと。

どうでもいいけど、世の中前提条件のすり合わせが行われないままに不毛なすれ違いをひたすら繰り返すのを見すぎてつらくなってくるよね~

(まぁそれを題材にした作品も山程あるので人間あるあるなのかもしれん)

Twitterを開けば毎日のように地獄を眺める事ができる。

 

…どうで良すぎた。本題に入ろう。

 

 

すば日々は哲学書や戯曲等あらゆる過去の作品からの引用があるので一見難解であるが(というかそのあたりからアプローチすれば実際に難解な作品なんだろう、しらんけど)、作品そのもののギミックはそこまで難しくなく、まぁノベルゲーム等を数本やってればだいたい3章目くらいでわかってしまうくらいの内容じゃないかと思う。

 

個人的な感覚で言うと、羅生門』を『ひぐらしのなく頃に』+『ファイトクラブ』で現代的にラッピングした作品という感じ?

 

本筋としては“間宮卓司という人格は如何にして生まれ、また如何にして死んでいったか?”という記録を、何人かの主観をもとに形成していくストーリーだと僕は解釈している。

 

なので純粋にストーリーを追うだけならさほど難解でもないし、また飛び抜けて優れた作品とは思えないなーというのもある。

 

 

ただ、この作品に深みを与えているのは“プレイヤーの主観とキャラクターの主観のズレ”ではないかと個人的には感じている。

 

 

そのズレを生じさせている要素とは精神疾患とドラッグである。

 

精神疾患、あるいはドラッグ、連続性の欠如

おそらく一番読んでいて頭がクラクラとしてくるのは 第2章“It’s my own Invention” における間宮卓司の精神崩壊、更にその派生である橘 希実香エンドであろう。

 

この第2章における狂気をプレイヤーは間宮卓司の主観を以て体感することになるが、それはあくまで想像の範囲を出ない。想像することとある事象を体感することとの隔たりを意識することは日常においてあまりないので、そもそもその違いについて考えることのほうが稀なのかもしれない。まぁ人によるか。

 

僕自身が割とひどい鬱症状を患っている。そのため、なんとなく理解はできる(※あくまで個人的経験の範囲内において)のだけれども、ある精神状況に置かれている人間の認知の歪みというのは凄まじく、本人にとっては間違いなく現実なのである。後々考えるとさほど絶望的な状況ではないはずなのに、その渦中にある時にはこの世の終わりのような感覚、絶望感をリアルな感触を共って体感することになる。

 

 

誰でもわかるような例を無理やり出すと

 

『あなたは飲酒して酩酊しています。普段より朗らかな気分になり、普段なら喋らないような内容のことを誰かに話しました。飲みすぎたのでどうやって帰宅したのかもやや不明瞭な状態です。翌日あなたは酔いが醒め、「うーん、何かいらないこと喋っちゃったかなぁ」と後悔することになりました』

 

わりとありそうなシチュエーションなわけだけど

『①酩酊中、普段とは違う状態のあなたが経験した事象は虚構か?

と問われたらどう答えるか?まず虚構ではなく事実だと認識するだろう。

 

では次に

『②酩酊中のあなたの認知や処理能力、あるいは他者とのコミュニケーション能力等は普段のあなたと同じか?』

と問われたらどうなるか?これを同じだと言える人は少ないのではないだろうか。なぜなら普段と全く変わらない状態は『酩酊している』とは言わないからである。

 

さらに

『③酩酊というのは単に気のせい(あるいは気の持ちよう)であって、本人の意識でいくらでも醒ますことができるか?』

という問を投げかけられたとする。これに自信をもってYesと答えられる人間は果たして居るのか?ちょっと僕には想像つかないけれど居るかも知れない。でもまぁ大半の人間はNoと答えるのではないだろうか。

 

最後に③を反転したものであるが

『④自分の意識で(つまり飲酒せずに)酩酊状態に陥ることはできるか?』

この問を投げかけられることになる。これは100%とは言い切れないけど、まぁほぼ9割9分の人が無理だと答えるんじゃなかろうか。

 

この①から④までの問を自答すると、精神疾患の状態、あるいはドラッグ(これは僕はやったことがないのであくまで想像ですが)を使用した状態というものの想像ができるのではないかと思う。

 

プレイヤーはそのキャラクターの心理を追体験しているはずなのだが、どこまで行ってもそれは想像であって体感ではない。どうしても埋まらない溝。他人の痛みを感じることはできない。この作品における主観の狂気と、それを一歩引いた目線から観た時の喜劇性。その落差があまりにもリアルで個人的には響いた。

 

■世界の限界について

このゲームをプレイしていると『世界の限界』というフレーズが頻繁に出てくる。ウィトゲンシュタインとか知らんのでこのゲーム内での解釈で言うと『主体が認識できる範囲』ということになるだろうか。

 

きれいに収束するメインストーリー以外の部分で奇妙な終わりを見せる分岐がある。

それは『第3章(ざくろルート)におけるハッピーエンド』(ざくろがいじめと対峙する選択をすることでそもそもの事件の発端が消え、間宮卓司をとりまく事件そのものもなかったことになるエンド)と最終章である『終ノ空Ⅱ』である。

 

この2つのエンディング、無くても物語の構造にはなんら影響しないと思うんだけど、テーマの補強という意味ではこれほど強いものもない。

 

まずざくろルートについて。このルートはざくろの主観で進んでいくわけであるが、ざくろが認識していない部分で起きている(あるいは起こるであろう)ことについては一切認知されない。世界の限界なので。

 

そのためざくろが自分の意志を発揮しいじめに立ち向かい、投身自殺に至るルートが消失した瞬間、間宮卓司という人格が起こすであろう事件も消えてしまう。ざくろの主観における世界の限界からすればハッピーエンドに他ならないが、その限界の先を知ってしまっているプレイヤーからするとそのエンドを選べば話が進まなくなるので結局ざくろの自殺は避けられないということになる。

 

プレイヤーはそのゲームにおける世界の限界を何度も観てしまうが故に観たくない事実まで観てしまうことになるわけだ。ざくろが自殺にするに至ったいじめのシーンは正直気分がダウナーになってしまうほど酷なものになっている。だが物語を先に進ませるためにプレイヤーは残酷な決断をしなければならない。半ば無意識的にその決断は行われるわけだが、構造を俯瞰すればプレイヤーが悪事に加担しているというのは明らかである。つらいね。

 

 

そして『終ノ空Ⅱ』においては『水上由岐』という存在についての不可解さを音無 彩名に指摘され、その答えを得られないままに『すば日々』という作品も閉じてしまう。

 

水上由岐という存在は何パターンも存在している。主人公として振る舞うこともあれば過去の思い出として出現することもある。

 

ここら辺のメタさが好きなんだけれども、『プレイヤーが世界の限界の外から関与する(つまりゲームをプレイする)限り、水上由岐というキャラクターはループ構造から永久に出ることができず、終わりも迎えられない』という解釈ができる気がしている。

 

『向日葵の坂道』エンドに至っては会話の可能な幽霊としてずーっと残っていくわけですよ。これもう面白いを通り越して恐怖でしょ。水上由岐というキャラクターそのものがこの物語の悲劇と喜劇を体現しているようなものである。こわいね。

 

■まとめ

なんだかまとまりのない文章を書いてしまったが、個人的メモなのでよしとしよう。

結局こういうのは「僕はこう感じた」という域を出ないし、出すつもりも今後出ないだろうなという気がする。

他の人の長文考察みたいなのもチラッと読んでみたけど途中で飽きて閉じてしまった。

 

 

まぁ、そういう作品であった、ということです。

映画『聲の形』の考察っぽい何か

聲の形についての考察っぽいものをつらつらと書いていこうかと思う。

 

 

正直今更ネタバレどうこうもないし、この文章を読んでもストーリーには全く触れてないのでむしろ謎が深まるのではないかと。

感想や『まともな』考察については他の人がいっぱい書いているのでそちらを読んでください。

一度観た人が再視聴する際の参考になれば幸いです。

 

 

僕は山田尚子ファンなので、山田尚子がどのように(あるいは何を目指して)アニメを作っているのかずっと考えている( By always thinking unto them. )わけなんだけども、そういう観点で語っていると考えてください。

 

 

映画『聲の形』は山田尚子作品か、大今良時作品か?

僕は漫画を最初に読んで映画を観たんだけども(1年くらい前かな)、ものすごく違和感があった。

「これは漫画である『聲の形』をアニメ化したものではない」と感じたくらいである。

初回に観た時には、原作7巻分を2時間の尺に収めるために取捨選択した結果かな?と思ったんだけど、2度目を観た時に確信した。

 

山田尚子は極めて慎重に、原作の持つテーマをすり替えている』

 

その結果として、この映画は山田尚子作品になっている。最初に感じた違和感は、そのすり替えに対して感じられたものだと。

(『けいおん!』も『リズと青い鳥』もそうなんだけど、原作をベースとした山田尚子オリジナル作品としか思えない要素が多すぎるし、その部分が評価されているんだと思う。現に、京アニの監督で名前が前面に推し出されるのって山田尚子だけでしょう)

 

具体的に書くと原作は

聴覚障害をモチーフとし、コミュニケーションに関わる問題を抱えた人たちの群像劇』

なのに対して、映画は

『石田将也はいかにして死に、いかにして生まれ変わったか』

というテーマになっている。(※個人の意見です)

 

 

…ただ、これは単なる妄想ではなくて、そういう意図を感じられる演出がかなりあるのだ。

以下、適当にそのあたりを列挙していくので参考に(?)して再視聴してみてください。

 

 

泣くべきところで泣かない将也

「君に生きるのを手伝ってほしい」

原作の中で最も感動的だと個人的に思っているのがこのシーンなんだけど、ここは映画と原作での剥離が激しい。

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原作においてはここで将也は涙を流す。

一番感動的なシーンで泣かせるというのは自然な演出だと思う。

硝子と共に泣くという部分においても、一緒にパートナーとして生きていこうという感覚を受ける。

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映画の同シチュエーションにおいて、将也は泣かない。

感動的なシーンなのに泣かない。

逆説的に『将也が流す涙にはエモーショナルな要素以外の何か意義がある』と読むことができる。

 

 

 追加されたシチュエーション

原作のエピソードを『取捨選択』したのであれば、不要なシチュエーションを付け足す必要性が感じられない。

みんなで遊園地に行く場面で、佐原と将也がジェットコースターで同席するシーンは原作にはない。

 

「小学生の頃はさ、怖くて乗れなかったんだ。弱虫だったからね」

「でも、少し見方変えてみた」

「怖いかどうかは乗ってから決めることにしたの」

 

「やっぱまだ怖いけどね」

 

佐倉は『恐怖を克服した』からジェットコースターに乗っているわけではない。結果を最初に予想して行動を決めないこと、そして選択した結果を受け入れる、という成長を遂げていたわけだ。

硝子と将也は、選択した結果に対し、後悔と罪悪感で動けなくなっている。

 

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ジェットコースターで落下しながら、笑顔で泣く佐原。ここで泣く必要は本来は無いはずである。単なる記号論の涙でも無さそうだ。

そして涙の中のハイライトをよく見ると、ピンクと青になっている。

物語の後半で硝子と将也が涙を流すシーンがあるのだが、実はそれぞれの涙の色がピンクと青なのだ。

そう考えると、佐原も何かを乗り越えた(しかも硝子と将也両方が抱えていた問題)ということを涙で表現しているように思える。

 

※すみません、ここのところかなり難しいので自分の中でもまだまとまってません。

※2020/07/31追記

別作品の批評で、『バンジージャンプは大人になるための通過儀礼、つまり幼少時代から大人への生まれ変わりのメタファーである』という感じのツイートが流れていてこのあたりもなんとなく腑に落ちた。

ジェットコースターそのものが『高いところからの落下』→『生まれ変わること』の表現だとすると、佐原が泣いている十分な理由になる。

 

 

この作品では生死と切っても切れない要素である血液を想起させる要素がたくさん出てくる。

直接的に血が出ている描写もあるが、それ以外に赤色が画面内にポツンと配置されていることが多い。(小津安二郎のカラー作品でも赤はたくさんあるから、単に画面が締まるとかそういうことなのかもしれんが…)

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硝子の補聴器も真っ赤である。補聴器のカラーもいろいろある中であえて赤を選んでいるのが興味深い。(原作では赤色であることを確認できる要素はなかった気がする)

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ちなみに小学生時代は肌色だというのも興味深いところだ。

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表立って聴覚障害をアピールすることが周りと距離を置いてしまうという母親の判断なのだろうか?

 

性的なニュアンス?

短くまとめようとしていたのにやっぱり長々とどうでもいいことを書いてしまう。

文章を書くというのは考えている以上に難しいものですね。

 

さて、あまり関係なさそうで重要なシーン、小学生時代の硝子と将也のとっくみあいのケンカのシーンである。

以前Twitterか何かで「このシーン、やたら性的な感じがする」みたいなのを見かけたような気がする。

 

まずは原作の方を見てみる。

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うん、どちらかというと殴り合いに近い気がする。二人とも血まみれだし。

 

では映画の方はどうだろう。

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うん、これは性交のメタファーですね。やたらと腰がぶつかる様子が入念にいろんなアングルから描かれている。

※動画で見たほうがよりわかりやすい。

https://www.sakugabooru.com/post/show/34533

 

そしてもう一つ原作と見比べてもらいたいポイントとしては、これは二人だけの『秘め事』だということだ。原作だと周りで同級生がケンカを確認しているが、映画においてこの行為が行われたことは二人以外には認知されていない。

 

これでまず生まれるための準備、第一段階は整った。

 

a point of the light

もうほぼ確信の部分なのでもうちょっとだけつきあってください。

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物語のはじめと終わりに出てくるこのやや抽象的な映像。

おそらく硝子と将也が並んで歩いているところだろうが、ぼやけていてよく見えない。

なんとなくだが、これ、受精卵に見えてこないですか?

そしてBGMに合わせるように脈動する音が入っている。

これは生命の誕生を表していると僕は思う。

 

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そしてこの将也が硝子の代わりに川に落ちて『死んだ』シーン。この赤い水面と、将也の体勢。これは母親の胎内のメタファーに見えるのである。※個人差があります。

 

 

聲の形

もうまとめに入ったほうがいいよね、ここまで書けばもう結論はひとつ。

将也は小学生時代に(精神的に)死んで、そして硝子と交わることで一つの円を描き、そしてもう一度この世に生を受けた。

 

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そして周りの世界を認知した瞬間、生まれた瞬間、本人にも理由がわからずに泣きじゃくるのである。

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聲の形は何の形か?

 

 

それは産声の形なのだろうか?

誰しもが生まれてくるときは意味もなく泣き叫びながら生まれてくるのだから。

『山下清悟演出集 SHINGO YAMASHITA COMPOSITE WORKS』の補足

山下清悟演出集(以下yama本)買いました。

https://stbreak.booth.pm/items/1495665

↑僕は通販で買ったけど、もしかしたらもう再販しないのかも、知りません。

あとがきがめちゃくちゃいいので、アニメーターの人は買いましょう。

 

Twitterを観ていると、「yama本、面白いけど撮影とか3DCGソフトのことをよく知らないので単語として何が書かれているかわからない」というようなものがちらほら見受けられました。あとなんでか本の中に僕が出てきていたので、「ならまぁ僕が補足説明を足しておくかいのぅ、ほっほっほ」という感じです。

 

というわけで、あくまで「撮影に詳しくない人がyama本を読みやすくなる」ための補足なので、正確な内容では記述しません。適当です。詳しく知りたくなったら各単語をググるなりしてください。

 

パーティクル(p004他)

石とか雪とか桜の花びらとか、粒として描かれるものの総称。AfterEffectsのプラグインであるTrapcode Particular(これは後述します)や各3DCGソフトウェアによって、『パーティクルを大量に生成・物理演算を用いてばら撒く』といったことが容易にできるため、手書きでは難しい大量のオブジェクトを画面に配置することができる。寂しい画面をごまかすときによく使われる手法

多分このナルトEDにおいてはサスケェが佇む雪原に降っている雪のことを指していると思われる。

 

ティール&オレンジ(p008)

一時期ハリウッド作品で大流行した色の傾向。画面内で俳優を目立たせるためには、肌の色(オレンジ)の補色(teal:青緑)を背景等に使えばいいのでは?という発想から生まれたと思われる手法である。アイアンマンとかトランスフォーマーとか見てください。

 

板ポリ・カメラマップによるオブジェクトの配置(p013)

撮影がデジタル化される前までは各素材を1コマずつ移動量を変えることで疑似的に立体感を出していたはず(片淵監督の『大砲の街』とかその極致ですね)

AftereEffectsは3D空間内に配置できるので、今までとは違う立体的なカメラワークが可能になっている。

下の雑過ぎるGIFにおいて、左がカメラマップを使用したオブジェクト、右が板ポリを使用したオブジェクトである。板ポリは3D空間にそのまま2D画像を置いただけなので、カメラアングルを変えるとペラペラでパラッパラッパーのようになっている。左はカメラマップを使用したもので、簡単にモデリングした人形に画像をテクスチャとして投影(マッピング)したものだ。3Dモデルに張り込んでいるので角度を変えたときでも立体になっている。

すべてをモデリングしてテクスチャを一枚一枚描くのに比べて、一枚絵として描いたものを3D化するので、2Dアニメのワークフローに組み込むのが容易であるという利点がある。

https://i.gyazo.com/162a7de49076d8e81bc69f353011cacb.gif

じゃあ全部カメラマップでやればいいか?というとそうでもなくて、

モデリングの手間が発生する(コストが高い)

②あくまで絵を投影しているだけなので、絵として描かれていないエリアまでカメラが回り込むと破綻してしまう(上のGIFだと真横より先には回り込めない、絵がないので)

のような弱点もあり現実的にはすべてのカットに適用できる手法ではないので、OPみたいに何度も使用されるシーケンスや、劇場大作、あるいは超スペシャルなアクションカット等で使用される傾向が強いと思う。

ただやはり画面のリッチ感への貢献度は大変高いので、今後増えることはあっても廃れない手法ではあろう。作画による流背とのハイブリッドなど、Blenderが流行っていったらもっと低コストに扱えるようになるのかもしれん、知らんけど。

 

 

Psoft(p019)

AfterEffectsのプラグインを作っている会社、またはそこが出しているプラグイン

ここでは『CelFX』を指しているのではないだろうか

https://www.psoft.co.jp/jp/product/celfx/

 アンチエイリアスのかかってない、ドットで描かれたTPデータ(ファミコンのマリオみたいなやつね)を扱うのに特化したプラグインである。

お金がないところは似たようなことのできる『F's Plugins』を使用しているような気がする。というかこっちが大半では。Bryful神。

http://bryful.yuzu.bz/ae.html

 

 

Shine(p019)

Trapcode社が出しているAfterEffects用プラグインを指していると思われる。

サンビームとか伸びた影みたいなやつを簡単に生成できる。



 

OpticalFlares(p026)

VideoCopilot社が出しているAfterEffects用プラグイン。カメラレンズに発生するゴーストやフレアを再現できるソフト。新海誠やJJエイブラムスが多用するやたら光り輝くアレ。

 

jj abrams lens flare.jpg

↑これ

 

 

Looks(p027)

Magic Bullet社が出している色調補正プラグイン。カラーグレーディングや色収差ディフュージョンといったAeで作ろうとすると手間がかかる効果をワンクリックで実現できる大変便利なプラグインである。

yamaさんに紹介したとき「何これ、覇権アニメプラグインじゃん」って言ってたのを覚えている。そんなことないです。

 

Particular(p027)

Trapcode社が出しているパーティクル生成プラグイン。パーティクル系プラグインデファクトスタンダードであり、Aeを代表するプラグインであると言っても過言ではないだろう。もし「1つしかプラグイン入れられないAeバトルロワイアルが開催された場合、僕ならこのプラグインを選びます。



Cinema4D(p026)

Maxon社が販売する3DCGソフト。略称はC4D。

AfterEffectsとの連携が簡単、操作体系も似ている、モーショングラフィックスに最適なMoGraph(まんまなネーミングやね)という機能が搭載されている等の理由により、個人映像作家が好んで使用しているソフト(のように個人的には感じる)。

プロメアとかソードアートオンラインとかで使われていたりする。

https://www.maxonjapan.jp/archives/work/promare_movie_1

https://www.maxonjapan.jp/archives/work/sword_art_online_os

 

AfterEffectsは3D空間の操作がくそやりづらいので、C4Dでレイアウトとカメラワークをつける、というのをyamaさんは好んでやってるみたいです。人それぞれですね。

機能を制限されたLite版がAfterEffectsをインストールすると勝手にインストールされます。いっそAdobeはC4D買収してくれよ…

僕も数年前に習得しようかなと思って体験版でチュートリアルをこなしていた時があったのですが(yamaさんに操作方法教えてたのはそのあたりの時期)、個人的にソフト代金をペイできるほど使わないかなぁと思ったので結局買わずじまいでした。今考えればこの当時にC4Dをマスターしていれば今とは違った人生を歩んでいたような気がする。人生にたらればはない、お金で迷ったらさっさと買いましょう。みなさんは間違った道を歩んではいけません。あ、最近Blender始めました。

 

 Lenscare、デプスマップ(p028)

https://flashbackj.com/product/lenscare-for-ae

AfterEffects用のブラー生成プラグイン。カメラレンズをシミュレートしたボケが作れる、Aeデフォルトのカメラブラーよりは軽い、等の理由により結構使われている気がする。新海誠が「ぼかすぜっ!」って言いながらBGぼかした時のプラグインも多分これだと思う。

3DCGソフト上でも当然一眼レフで撮ったようなボケは再現可能だが(というかそっちの方が精度は断然高い)、あとから微調整しようとすると再レンダリングが必要という危険性も伴うので、レンダリング時間が長くトライ&エラーが多いアニメーションにおいては、後からコンポジット時にぼかす方が都合よかったりする。

デプスマップというのは、奥行き方向の情報を白黒の画像で表現したものである。3DCGソフトでデプスマップを書き出しておいて、それとこのLenscareを組み合わせることにより、好きな場所にピントを合わせてボケをつくることができるというわけだ。

ちょっと前まではLenscare一強って感じだったけど、最近いろいろなボケ作成プラグインが出てきているのでもしかしたら情勢が変わるのかもしれない。

 

通称28000個のランタン(p031)

f:id:fukkunmania:20190815024456p:plain

Cinema4Dの機能、一つのオブジェクトを増殖させる『クローナー』という機能と、様々なパラメータをランダムにする『ランダムエフェクタ』を組み合わせることにより誕生した地獄のことである。

クローナー機能を使うとXYZ軸に沿って複製ができるのだが、yamaさんが欲張りすぎて30×30×30という指定をしたために27000個に増えた。

さらにこの当時はCinema4Dというか3DCG全般の知識がほぼなかったので、「中にろうそくの火が灯ってて、半透明の紙が透けている、そこそこポリゴン数があるランタン」を増殖してしまったので、パソコンからしてみれば「おいおいおい、死ぬわ、俺」って感じだったと思う。28000個の数もそうだけど、そもそも複製対象のランタンを適切なマテリアル設定にしておくべきだったと思う。

余談なんだけど、この時夜中唐突にSkypeがかかってきてやたらハイテンションなyamaさんとひたすらにランタンを作った記憶がある。たぶんデスマーチで脳内物質が過剰分泌していたのだろう。僕はひたすらに眠くイライラしていたので遠隔地から東京を爆破してやりたいと心底思っていたのを覚えている。

 

 

サファイア(p031)

Boris FX社製のSapphireというAeプラグインを指す。

通常のAe機能を駆使すると何手もかかる効果を一発で作ってくれる&高品質なとっても便利なエフェクト集プラグインである

https://flashbackj.com/product/sapphire

超一流映像作家はみんな持っているというもっぱらの噂である。

 

問題は価格で、おおよそ30万円はする。正直Aeとかより高い。そのため貧民にはなかなか手が届かない憧れのプラグインといってもいいだろう。

結局のところ、高品質な映像はトライ&エラーから生まれるものである。こういったプラグイン&高速なパソコンを用いてひたすらカイゼンを繰り返していくことが重要なのだ。最初の資本力が高いほどトライ&エラーの回数を増やすことができ、高品質なアウトプットが生まれ、よりお金を稼ぐことができ、より高額な機材を買うことができる…といったいい循環にのることができるわけだ。これはアニメーターが低賃金なため、その場しのぎの仕事を取り、ますますジリ貧になっていくのと対象的だと言える。

そういう意味では、よほど才能がある人間以外は、お金を最初どこに振り分けるかどうかが将来を左右する可能性は大いにある。個人的には高性能な自作PCと無料ソフトであるBlenderの組み合わせが一番個人の生存戦略には適していると思っている…が、未来は予想がつかない。みんな、なんとか生きましょう。

 

ちなみに、僕はRed GiantのUniverseというプラグインを使用しています。年間契約で解約がしやすいのと、RedGiantが個人的に好きだからです。『YU-NO』のED映像に関してはVHS風のグリッチ、RGBシフト、パズル完成時のグローなどに使いました。結構便利です。これは使い続けるかもしれない。

 

ベイク(p043)

3DCGソフト等で物理演算をすると、文字通り演算が行われます。簡単なものならいいですが、大量のパーティクルをまき散らしたりしている状態で、何度も再計算が行われると作業にならなかったりします。そのため、「よし、この動きでいこう」と決めた際に再演算を行わないように動きを「焼き固めて」しまうことがあります。これがベイクという作業です。AfterEffectsにおいても、キーフレームで作っておいた動きをベイクしてしまって、要らないフレームを間引いたりします。ただし、Aeはベイクを解除することができないのでご利用は計画的に。アコム

ロークオの輝き(p045)

web系は雑さや素人っぽい処理を「味わい」と称しそのまま通しますし、場合によっては狙って演出します。クライアントの精神が心配になります。

 

あとがき(p055)

ちゃんとやろう、確定申告。

税務署は見ている、あなたを。

 

 

 

こんなところでしょうか。また追記したり削除したりするかもしれません。

つかれたのでなんかほしいものリストからモノください。以上です。

いなくなるスプレー

友人のY君が自殺をした。首つり自殺だったらしい。家族には一切そういうそぶりを見せず、普段通りに夕食を食べ、翌日車に乗って外出し、そのまま帰ってくることはなかった。

 

Y君とは小学生時代からの友人だ。僕は基本的に友達が少ないし、高専時代は寮に入っていて、就職してからは県外に居たので、地元で心許せる友人はY君しか居ないと言ってもよかった。

 

田舎とはひどく閉鎖的な空間である。一度そのコミュニティから外れてしまった人間の居場所はあまりない。僕は田舎の、同級生のコミュニティからは完全に外れてしまってした。そしてY君はそもそもコミュニティに属していなかった。彼はそういうものに一切興味がなかったからだ。成人式にも出てこなかった。実に彼らしいな、とその時感じたことを覚えている。

 

Y君との共通の趣味は、ジーンズと音響機器と自転車、そして釣りだった。

 

中学生くらいの時には一緒にマウンテンバイクで走り回った。未だに自転車が好きなのは、その時に感じた自由さを身体が覚えているからかもしれない。

お互い競い合うようにレプリカジーンズを穿き、その色落ちを競い合った。僕はエヴィスジーンズを、彼はサムライジーンズを、くっそ暑い夏場も、凍えるような冬場もずっと穿いて、洗剤には漂白剤の含まれていないものを使い、丁寧に洗って干した。Y君は足が長くて、僕は短足だったから、裾の長さがあまりにも違って閉口したものだ。

音響機器も好きだった。お互いにヘッドフォンを聴き比べしたりしたし、僕が高専の時に自作したヘッドフォンアンプをずっと使ってくれていた。彼の愛用していたヘッドフォンはゼンハイザーのHD25だったと思う。

 

上記趣味をみれば何となく感じると思うが、彼は凝り性だった、僕と同じで。ひたすらに一つのものをずっと使い続け、味わいがでるまで大切にし続ける人間だった。本当に自分が吟味して気に入ったものだけを、手入れしながらずっと使い続けていた。部屋はいつも清潔に清掃されていて、彼のフィルターを潜り抜けることができたほんのわずかなものだけが、ピカピカな状態で鎮座していた。

 

Y君と僕は親友だった。と思う。というのは、世間で言われているようなわかりやすい友人関係ではなかったからだ。

悩み事や相談事を打ち明けあったり、バーベキューをしたりということも全然なかった。

ただ、お互いに語るべきこと、語らなくていいことはなんとなく感じあっていて、遊んでいてもそんなに会話は多くなかったが、とても心地が良かった。

長い期間の間にできた関係性というのはそういうものかもしれない。とても穏やかな空気の中で、最近やってるゲームとか、自転車のパーツの話とか、そういうどうでもいいことをだらだらとしゃべりながらお酒を飲んだ。

 

後年になって、彼と僕の趣味に釣りが加わった。別に照らし合わせたわけでもなく、偶然だ。近所には汽水域の池があったから、僕はそこでルアーを延々と投げた。そしていつだか忘れたが、お互いにルアーフィッシングをしていることが判明して、二人してルアーを投げることになった。

二人で釣りに行っても会話はほとんどなかった。ほとんど波もない池に、ずっとルアーを投げ込む音だけが聞こえた。2時間くらい二人で無言で釣りをして、「いやぁ今日は釣れんかったな」と笑いながら解散することが多かった。なぜか二人で釣りに出掛けたときは全然釣果がなかった。でも楽しかった。僕が仕事でメンタルをやられていた時でも、二人で無言で釣りをしている間に、心のトゲトゲが少しずつほどけていくような気がしたからだ。

 

2週間前だ。Y君から「今日遊びに行っていいかい?」というLINEが来たので「ちょうど暇だからいいよ」と返した。近所のスーパーでお酒とつまみを買い、僕の部屋で飲んだ。完成したばかりの自作PCでSteamのゲームをやってみせて、「最近のグラボはすごいやろ?」とちょっとばかり自慢をしたのを覚えている。

その日は僕の体調が悪かったから、「今日はここいらでお開きにしようか」と言って、早めに切り上げた。結局全部のつまみを食べきることはなかった。彼は残ったつまみをグレゴリーのバッグに入れて、持ち帰った。

 

僕らは「グッドラック」とお互いサムズアップしながら別れる。いつの頃から癖なのか、もう思い出せない。でも毎回行っている。確かこの時は、「次回は釣りに行こう」と言ったあと、サムズアップして別れたんじゃないかな。ご武運を。

 

 彼は自殺を決行したその日、ホームセンターでトラロープとルアーを買っていた。直前に遊んだ時の会話の中で、「やっぱりあの池はホームセンターの激安ルアーしか釣れないよね」「おそらく謎の波動が出てるんだろう」という会話をしていたから、どのルアーを買ったかは容易に想像がついた。そしてその買ったルアーは使用されていたらしい。たぶん彼は人生の最後に釣りをしたのだ。ホームセンターの激安ルアーで。

 

僕は今日通夜に行く前に、そのホームセンターに寄って同じルアーを買った。そのルアーは鉄板バイブレーションだ。いつも釣りをしている池は水深が浅く、根掛かりが多く、たくさんルアーを失う場所だった。バイブレーション系のルアーは沈んで底を狙うので、よりロストしやすかった。たぶんY君は三途の川でも釣りをするだろうから、ルアーの予備はたくさんあったほうがいいだろうと思ったのだ。

 

棺の中の彼の顔を見た。少々顔色は悪く、表情もしかめっ面な気もしたが、まるで寝ているみたいだった。まぁ寝苦しい夜が続いてるからそんなもんだよね。またしばらくしたら「今日の夜釣りに行かない?」ってLINEが来そうな、そんな顔だった。

 

 

 

7月の頭、『蚊がいなくなるスプレー』を部屋に撒いたら蚊がまったく現れなくなった。

7月の中旬、京アニが放火されて、尊敬していたクリエイターがたくさん亡くなった。

8月の頭、親友が自殺して、遊べる友達がいなくなった。

 

この一か月くらいで、僕はたくさんのものを失ってしまったような気がする。心のどこかにあった何かがぽっかりと穴をあけている。でもその失った何かが、何なのかさっぱりわからない。「ただそこに何かが存在していた」という確信はあるけれど、それが何なのか全くわからなかった。時間が経てばそれが何なのか、はっきりわかると思う。でもそれが今の僕には一番こわい。

 

僕はこれからジーンズの色落ちを誰に報告すればいいんだろう。

新しく買ったイヤフォンの音質を誰に聞いてもらったらいいんだろう。

ちょっと夜サイクリングに出かけたくなったとき、誰をさそったらいいんだろう。

いったい誰と、釣りをすればいいんだろう。

 

 

ただただひたすらに、今は寂しいよ。